イベントレポート

越田松長根Ⅰ遺跡 現地説明会レポート

 平成2774日(土)午前10:30から、宮古市田老の越田松長根Ⅰ遺跡(こしだまつながね1いせき)で現地説明会を開催しました。今回はお隣で調査している宮古市教育委員会との共同開催でした。当日は、曇りの過ごしやすい天候で、105名の方がいらっしゃいました。たくさんのご参加ありがとうございました!

 越田松長根Ⅰ遺跡は、市道築造に伴い発掘調査を行っている遺跡です。
真崎海岸の西側、標高90110mの丘陵と谷が複雑に入り組んだ地形に位置し、調査区が西と東に分かれる大きな遺跡です。西調査区では縄文時代前期初め(約6000年前)の大きな集落跡が、東調査区では縄文中期末~後期前半(約4000年前)の集落の一端が発見されました。縄文時代前期初めの集落跡は発見例が少ないため、貴重な資料となります。 

 田老の仮設住宅から参加された男性は、「初めて遺跡を見たが、こんなにいっぱいあるとは思わなかった。まだ他にもあるかもしれないので、いくつかは残してほしい。今後、田老での貝塚発見にも期待している」と話していました。

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地層Ⅲの黄土色に見える部分は、現在の十和田湖が約5000年前に大爆発して降らせた火山灰が良い状態で残されています。住居跡はこの地層より下から見つかっているので、もっと古い時代であることがわかります。(西調査区)

地層Ⅲの黄土色に見える部分には、現在の十和田湖が約5000年前に大爆発して降らせた火山灰が残っています。住居跡はこの地層より下から見つかっているので、もっと古い時代であることがわかります。(西調査区)

調査員が示した細長く色の濃い部分は、シカなどを狙った陥(おと)し穴で、縄文前期の竪穴住居跡にまたがり掘られています。住居や集落が一度なくなり自然に還ってから、約2000年後の縄文人が獣道に掘ったと思われます。(西調査区)

調査員が示した細長く色の濃い部分は、シカなどを狙った陥(おと)し穴で、縄文前期の竪穴住居跡にまたがり掘られています。住居や集落が使われなくなり埋まってから、約2000年後の縄文人が獣道に掘りました。(西調査区)

住居跡から床が2段になっている部分が発見されました。棚やベッドとして使われたという説もありますが、腰掛けであったとも考えられます。一家団欒、並んで座っていたのかもしれませんね。(西調査区)

住居跡から床が2段になっている部分が発見されました。棚やベッドとして使われたという説もありますが、腰掛けであったとも考えられます。一家団欒、並んで座っていたのかもしれませんね。(西調査区)

ワラビの芽のように巻いた模様の入った、縄文前期初めごろの土器破片が出土しました。土器を焼く前、乾燥工程でのひび割れを防ぐため、粘土に植物の繊維を混ぜてから土器を形成したそうです。すごい知恵ですね!(西調査区)

ワラビの芽のように巻いた模様の入った、縄文前期初めごろの土器破片が出土しました。土器を焼く前、乾燥工程でのひび割れを防ぐため、粘土に植物の繊維を混ぜてから土器を形成したそうです。すごい知恵ですね!(西調査区)

東調査区からは縄文中期末~後期前半の「捨て場」が見つかり、多数の石器や土器の破片がありました。ここから道路を挟んで、宮古市教育委員会様が発掘する調査区へと続いています。

東調査区からは縄文中期末~後期前半の「捨て場」が見つかり、多数の石器や土器の破片がありました。ここから道路を挟んで、宮古市教育委員会が発掘する調査区へと続いています。

宮古市教育委員会様の調査区では、食糧などを保存した貯蔵穴が多数発見されました。地中は温度が比較的安定しているそうで、実際に測ったところ、地上の気温より貯蔵穴内の方が数度低い温度でした。

宮古市教育委員会の調査区では、食糧などを保存した貯蔵穴が多数発見されました。地中は温度が比較的安定していて、当日実際に測ったところ、地上の気温より貯蔵穴内の方が数度低い温度でした。

 

 

2015年7月13日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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