イベントレポート

田鎖車堂前遺跡 現地説明会レポート

 平成27年11月21日(土)午前11:00から、宮古市の田鎖車堂前遺跡(たくさりくるまどうまえいせき)で、現地説明会を開催しました。当日は素晴らしい青空が広がる好天で、絶好の説明会日和でした。参加された方も160名と今年一番でした!ご参加の皆様、ありがとうございました!

 田鎖車堂前遺跡は宮古西道路の建設に関連して行われる、復興関連発掘調査遺跡です。昨年度から調査を開始し、2年目となります。奈良時代~江戸時代の遺構が見つかっており、昨年度は平安時代の大鎧の小札(おおよろいのこざね)など、とても珍しい遺物も見つかっています。

地元・田鎖から新聞を見て見学にいらした方は、「去年の現地説明会も参加して、暗渠(あんきょ)を見てすごいと思ったが、今年の堀の大きさもすごい。お金持ちか権力者でも住んでいたのかな?」と話していました。

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平安時代の住居跡ですが、床面が黒くなっています。焼失住居といって、火事などで燃えてしまった住居です。数棟確認できました。大火事でしょうか?

平安時代の住居跡ですが、床面が黒くなっています。焼失住居といって、火事などで燃えてしまった住居です。数棟確認できました。

大きな堀の説明ですが、左下拡大写真をご覧ください。木の柱が残っています。橋を掛けて、堀の渡り口にしていたのでしょうか。

幅7メートル・深さ2メートルもある、大きな堀の説明ですが、左下拡大写真をご覧ください。木の柱が残っています。橋を掛けて、堀の渡り口にしていたのでしょうか。

 

先の写真の堀の先には、溝を平行に切った跡が見つかりました。ここは橋から続く道で、両脇の溝は今でいう側溝だったと考えられます。

先の写真の、木柱の先には、2条の溝を平行に掘った跡が見つかりました。ここは橋から続く道で、平行の溝は今でいう側溝のような役目だと考えられます。

桶に見えますね。これは棺だそうで、江戸時代はお墓だったようです。時代が変われば、土地の使用方法も変わるんですね。

桶のようにも見えますが、これは棺だそうで、江戸時代はお墓もあったようです。時代が変われば、土地の使用方法も変わるんですね。

説明している調査員の足元には石がびっしりと敷かれています。ここは水が流れていたと思われる溝ですが、石の間には小さな土器片が無数にあり、刀や鉄製の農具も見つかっています。目的はなんだったのでしょうか?

説明している調査員の足元には石がびっしりと敷かれています。ここは、水が流れていたと思われる溝ですが、石の間には小さな土器片が無数にあり、刀や鉄製の農具も見つかっています。目的はなんだったのでしょうか?

展示遺物より、奈良・平安時代のさまざまな遺物です。パッと見、使用方法すらわからないような物もありますが、これらも昔の生活を知るうえで、貴重な資料です。

展示遺物より、奈良・平安時代のさまざまな遺物です。現代の私たちには、何に使ったか分からないような物もありますが、これらも昔の生活を知るうえで、貴重な資料です。

○当日の資料はこちらから

2015年11月26日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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