イベントレポート

町屋敷遺跡 現地説明会レポート

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10月28日(土)午後1時から、奥州市水沢区の町屋敷遺跡の現地説明会が始まりました。曇り空であるものの、風もなく、過ごしやすい気温です。

まず事務所の前に集まっていただき、遺跡の概要を担当調査員から説明します。町屋敷遺跡は江戸時代仙台藩瀬台野村にあり、当時の文献に44件の家があったと記されています。道路に沿って規格的に屋敷を配置した「街村(がいそん)」であったようです。

調査前は水田や畑であった調査区ですが、どんなものが見つかったのでしょうか。

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いよいよ調査区に入っていきます。列の前方に左右に走る舗装道路が見えます。この道路の右手には江戸時代年貢米を集め、舟運を利用して出荷した「瀬台野御蔵場」があり、奥州市教育委員会による発掘調査でも蔵と思われる建物が見つかりました。道路は当時からのもので、今回の調査の結果、道路側溝が見つかっています。この御蔵場に関係する人々が住んでいたのが、「町屋敷」だった可能性があります。

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道路(奥の土嚢袋を積んであるところ)を挟んで南側の屋敷跡です。丸い穴がたくさん開いています。これらは柱穴で、規則的に並んでおり、関係する柱穴を線で繋いで見ると、建物跡であることが分かります。当時の建物は穴を掘って柱を立てて作る「掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)」でした。

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少し離れたところから見た写真です。大小3棟の建物跡が見えます。奥の建物が母屋で、手前2棟はその付属屋です。真ん中の建物は、床に浅い穴が掘られており、厩(うまや)と見られます。
見学用の通路の左側には通路に並行して溝が掘られています。これが屋敷の境の溝と考えられます。

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一番奥の建物を反対の北東側から見た写真です。建物と直角に曲がった大きな溝が重なっています。この溝は「瀬台野御蔵場」の敷地を区画するものと考えられます。溝が使われなくなって埋まった後の埋土に、柱穴が掘られているので、建物は溝より新しいことが分かります。

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皆さんが立っている道路が奥の「瀬台野御蔵場」に通じる江戸時代からの道路です。

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道路の北側にも屋敷地があり、屋敷の境とみられる溝やたくさんの柱穴が見つかっています。掘立柱建物は柱の耐久年数が30~40年ほどで、何度も建て替えが行われるため、今回の調査では1200個以上の柱穴が見つかりました。

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プレハブには見つかった遺物が展示されています。今回の調査では、江戸時代の陶磁器がたくさん見つかっています。肥前産(佐賀県・長崎県)、大堀相馬産(福島県)、瀬戸産(愛知県)などのものがあります。そのほか、石製碾臼(ひきうす)、硯等も出ています。

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 発掘する前は田んぼや畑、宅地だった調査区ですが、瀬台野御蔵場があった時代の米の出荷時の賑わいや屋敷が立ち並んでいた様子が目に浮かびます。
 見学した方からは、
「普段何気なく通っている場所に江戸時代の屋敷があって、当時の人々が使っていた道具が本当に出てきたことに感激。」
「説明を受けて、様子がよく分かった。」
などの感想をいただきました。

当日の資料は、こちらから。

 

 

2017年10月31日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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