松山館跡

東日本大震災関連発掘調査

いわて調査情報/2012年8月31日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 松山館(まつやまだて)跡
所在地 岩手県宮古市松山第13地割字大久保沢ほか
事務所 0193-62-7773
調査期間 平成24年4月10日~8月10日
時代 古代、中世
検出遺構 竪穴住居(古代)、土坑
出土遺物 縄文土器、土師器、須恵器、鉄滓、吹子(破片)、鉄製品(釘?)
松山館跡6

松山館跡の発掘調査は8月10日をもって終了しました。最後は松山館跡全体を上空から眺めた写真をお目にかけます。
写真右下端に見えている木の生えた小山が館の本体にあたり、この場所に松山館の主が住んでいた建物があったと考えられます。今回の調査はその部分には触れませんでしたが、この館ができる前の様子が分かる成果を得られました。
(平成24年8月10日現在)

松山館跡5

現地説明会ではたくさんの方に来ていただきました。今回は、その現地説明会でお見せできなかった遺構を紹介します。
写真は縄文時代後期の竪穴住居から見つかった炉(囲炉裏)です。石で囲って、その中で火を使い、食事を作ったり、暖をとったりしました。松山館跡では、古代や中世以外でも、このように縄文時代の人々が暮らした痕跡も見つかりました。
(平成24年8月8日現在)

松山館跡4

遺跡から見つかった『製鉄炉』です。大きさは1.5mほどあります。1000℃を超える火を使って鉄を生産していたため、炉は熱により、赤色、黄色、灰色に変色していました。また炉の南側(写真の下側)は低くなっており、炉から鉄滓が流れ出るようになっています。写真の左上に白く写っているのが鉄滓の塊で、隣の製鉄炉からのものです。
(平成24年6月29日現在)

松山館跡3

調査区の中ににある谷の部分で、写真のような鉄を作るための施設である「製鉄炉」が3つ(4つかも)見つかりました。製鉄炉の周りからは、下の写真の「羽口」や鉄を作る際に排出される「鉄滓」もたくさん出土しています。時代はおそらく古代(平安時代?)と考えています。まだ検出状態ですので、これから調査が進んで、全容が明らかになると思います。
(平成24年6月4日現在)

松山館跡2

調査は2か所の大きな丘陵部とその間の谷部とで行っています。そのうち谷の部分で写真のような『羽口』と呼ばれる土製品が見つかりました。これは鉄を生産する「たたら」で使われる道具のひとつで、強い火をおこすための送風管の役目を果たします。羽口は他にもたくさん見つかっていますので、この谷で鉄が作られていたのは確実です。時代は古代か中世か。これからの調査で明らかになります。
(平成24年5月24日現在)

松山館跡1

松山館跡は閉伊川の南側、約0.5kmの所に位置しています。
中世の館(城館)跡として登録された遺跡ですが、昔、周辺の畑から蕨手刀が見つかったこともあり、古代の遺跡とも考えられています。今回の調査でも土師器が見つかっており、写真の土坑も古代の遺構と考えられます。土が真っ赤に燃えた部分も見えるので、火を使った「穴」と考えられますが、まだ用途は分かりません。これからの調査で明らかになると思います。
(平成24年4月27日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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