川半貝塚

東日本大震災関連発掘調査

いわて調査情報/2015年10月26日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 川半(かわはん)貝塚
所在地 岩手県下閉伊郡山田町船越第20地割ほか
事務所 080-2832-8447
調査期間 平成27年7月1日~11月30日(予定)
時代 縄文時代
検出遺構 竪穴住居跡、土坑
出土遺物 縄文時代:土器、石器
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写真は川半貝塚の周辺を上空から撮影したものです。写真下側の茶色~黄色の菱形の範囲が今回調査した場所です。川半貝塚は山に囲まれ、また海がとても近いので、縄文人にとって暮らすのに適した環境だったのかもしれません。
川半貝塚の調査は23日に終了しました。残念ながら「貝塚」に関連する遺構や遺物は見つかりませんでしたが、長きにわたり縄文人が暮らしていた痕が見つかり、意義のある調査になりました。その調査成果については、今後、何かのかたちでお見せできたらと考えております。
(平成27年10月26日現在)

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10月16日(金)に川半貝塚の現地公開を開催し、調査の成果を地元の方々に見学していただきました。
川半貝塚の近くにある、大浦小学校の児童さんたちや先生方にも来ていただき、大変にぎやかな現地公開になりました。
(平成27年10月26日現在)

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調査も大詰めをむかえています。
先週まで紹介してきました竪穴住居跡などの調査は終了し、残るは写真にみえるような黒い土を掘り下げます。
毎日、少しずつですが縄文土器や石器が出土しています。石鏃(矢じり)などの小さな石器が見つかると、作業員さんも大喜びです。気がつけばたくさんの石器が見つかりました(下写真)。
16日の現地公開には竪穴住居跡のほか、土器や石器もたくさん見ていただきたいと思っております。
(平成27年10月13日現在)

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先週紹介した縄文時代中期の竪穴住居跡(家のあと)の隣から、もう1棟、同じ時期の竪穴住居跡が重なって見つかっています。
ただし斜面の崩落で、部分的にしか残存していませんし、炉(囲炉裏のあと)も炉石が一部残るのみです(下写真)。
写真をみて分かりますように立地する場所は石だらけです。このようなところですが、縄文人は何度も家をつくり住み続けたようです。よほど住みやすかったのでしょうか。
(平成27年10月5日現在)

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上写真は今回の調査でみつかった縄文時代中期の竪穴住居跡(家のあと)です。立地する斜面が崩落しており、そのため住居の一部もなくなっていましたが、炉(囲炉裏のあと)や柱穴、壁の一部が確認でき、5~6mの円形の住居と推定しています。
炉は床面を深く掘り込んだ上、2列に石(炉石)を四角く組んで作られています(下写真)。炉石は倒れないように、外側を土で埋めていますが、たくさんの石を混ぜて固定した様子も伺えます(下写真の炉の左側)。
(平成27年9月28日現在)

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8月31日に紹介しました、住居の床に埋められた縄文土器の周辺を掘り進んでいたところ、大きな石器が1点見つかりました(上写真の右下)。変わった形をした石器なので、取り上げて洗ってみたところ、長さ約25cmの砥石でした。表面が大きくくぼんでおり、そのなかに研いだ際にできた筋が見受けられます。縄文人はどのような時にこの砥石を使ったのでしょうか。
(平成27年9月24日現在)

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 今週は雨の多い一週間でしたが、作業員さんのがんばりのおかげで少しずつ調査は進んでいます。
 写真は先週の続きです。炉(写真中央、赤い範囲)の両側に白い○が2列並んでいますが、これは住居の屋根を支えるための柱があったところ(柱穴)と考えます。柱穴の配置から、住居はかなり細長くまた大きかったと想像しています。残念ながら壁や床面の一部は崩れて無くなっていました。
(平成27年9月14日現在)

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 先週紹介したものとは別の遺構の調査も進めています。
上写真はその遺構を掘り下げた状態を撮影したものです。真っ赤な部分は「炉」です。炉は石などで囲わずそのままなのが特徴です。遺構は斜面の崩落などで大きく壊されていますが、これも竪穴住居跡(家のあと)ではないかと想像しています。また埋土からは下写真の土器が出土しており、縄文時代前期(50006000年前)の竪穴住居跡であろうと考えています。
(平成27年9月4日現在)

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7月21日に紹介した範囲の調査を進めています。
縄文時代の竪穴住居跡(家のあと)ではないかと考える遺構が見つかり始めています。
写真はその床面ですが、縄文土器が2個埋めてあります。なぜ埋めてあるかは、今後、明らかにしていきたいと思います。
(平成27年8月31日現在)

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13日に紹介した沢跡が、概ね掘り上がりました(上写真)。
黒土の下は大きな石や砂で覆われており、残念ながら昔の人が生活を営んだ痕跡を見つけることはできませんでした(縄文土器や石器は見つかっていますが)。
ところで沢跡の黒土をよく観察すると黄色い火山灰が塊状に混ざっているのに気づきました(下写真)。これは今から約5400年前に十和田湖が爆発した際の火山灰ではないかと推測しています。したがってこの沢跡が埋没したのもその時期ではないかと想像しています。
(平成27年8月3日現在)

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先週とは別の場所で試し掘りを行いました。
表面の土を細長く切り取るように掘り下げ、その下の様子を探っています。
手前側は土が黄色いのに対し、奥側は黒い土が広がっており、黒い土の中からは縄文土器の破片が見つかっています。縄文時代の竪穴住居跡(家のあと)か何かではないかと想像しますが、詳しいことは今後明らかになっていきます。
(平成27年7月21日現在)

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今週は重機で表土をはぎ、その下を人の力で掘り進めました。写真は山側から海へと向かう沢跡のようで、黒土を掘ると縄文土器や石器がたくさんみつかりました。
みつかった縄文土器は、先週紹介したものとはすこし模様(文様)が違うのが特徴です。
(平成27年7月13日現在)

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7月1日から調査を開始しました。山田町船越半島の北側に位置し、眼下に海が臨める場所に遺跡があります。
今週は試し掘りを進めています(上写真)。
わずかですが縄文土器や石器(石鏃など)が見つかっています(下写真)。
(平成27年7月6日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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