北条館跡

いわて調査情報/2019年12月12日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 北条館(ほうじょうだて)跡
所在地 岩手県紫波郡紫波町大字北日詰字城内105番地の2ほか
事務所 019-656-1903
調査期間 平成31年4月8日~11月27日
時代 古代・中世
検出遺構 古代:竪穴建物
中世:竪穴建物・溝・焼土・柱穴・掘立柱建物
出土遺物 古代:土師器・須恵器
中世:陶磁器・金属製品・銭貨
 11月27日をもって今年度の野外調査を終了しました。調査では、戦国時代の竪穴建物・掘立柱建物・堀・土塁、12世紀(奥州藤原氏時代)の溝や土坑が見つかりました。また、遺物も土器・陶磁器類、かわらけ、鉄製品、銭貨、石臼、硯など様々なものが出土しています。現在は室内整理作業として記録した図面類の整理や遺物の選別などを行っています。
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1.北条館→高水寺城(南から)

 遺跡の上空から北側を見た写真です。正面に見える小高い丘は、中世斯波氏の居城として知られる高水寺城跡(現在の城山公園)です。
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2.調査区中央空撮(北東から)

 中央に見えるのが戦国時代の堀と土橋です。堀は水を湛えない空堀で、城の中を区画するためのものと考えられます。
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3.調査区南側空撮(直上)

  
 今年度の調査では、3000個を超える柱穴が見つかりました。規則的に並んでいるものが多く、これらが掘立柱建物を構成する柱穴になります。

(令和元年12月11日現在)

 

 前回お見せした戦国時代の堀と土橋の調査を終え、現在はその北側の調査区で作業を行っています。ここでは12世紀(奥州藤原氏の時代)の区画溝が見つかりました。この溝は幅約1.5m、深さ約30㎝と堀よりも小規模ですが、かわらけや国産陶器の破片が出土しています。

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1. 12世紀の区画溝

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2. 遺物出土状況1

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3. 遺物出土状況2

(令和元年11月14日現在)

 調査区中央にある堀跡の調査を再開しました。この堀は城の内部を区画するためのもので、幅約9m、深さ2m弱の箱掘と呼ばれる断面形が逆台形になる堀です。東西方向に走る堀ですが、途中に土橋があるため調査区中央付近で一旦途切れ、西壁付近でまた出現します。

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 作業員さんの背丈が隠れるほどの深さです。

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 土橋の幅は約4m、土橋の西側にも堀の端部が見つかっています。
(令和元年10月11日現在)

 北条館跡が機能していた時期の堀跡を紹介します。3号堀は、昨年度調査区と接する南側の位置で確認されました。底面には流水の痕跡が数条確認されています。本来の堀の形は、一部を除いて、失われてしまった可能性があります。
 4号堀は、北側で確認された堀跡で、横から見ると逆台形状に掘り込まれています。箱堀(はこぼり)といわれる形です。東西方向に巡り、調査区内で途切れる部分は土橋の存在が想定されます。門跡や道路状の遺構、柵列など附随する施設の跡にも留意しながら、今後も調査を続けていきます。

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3号堀(南西から)

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4号堀(南東から)

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4号堀と土橋と想定される部分(南から)

(令和元年7月25日現在)

  北条館跡が城館として機能していた15~16世紀の竪穴建物を調査しています。大きさと形は、一辺約3~6mの方形や長方形で、多くは壁際に柱穴が確認され、一方向に張り出しを持つものもあります。永樂通寳の銭貨や青磁片が出土した竪穴建物、焼失したことに拠る炭化材がまとまって出土した竪穴建物などがあります。毎日が発見の連続で、今後も棟数は増えそうです。
 工房や倉庫などの用途が考えられている竪穴建物ですが、北条館跡の性格を考えるうえで、重要な遺構になりそうです。

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炭化材がまとまって出土した竪穴建物を精査中

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一辺3mほどの方形の竪穴建物を精査中

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竪穴建物から出土した永樂通寶

(令和元年6月28日現在)

 北条館跡の調査では、現在、城館として機能していた15~16世紀を中心とする遺構・遺物と、12世紀の遺構・遺物が確認されています。
 今回紹介するのは12世紀の遺構です。径0.75m、深さ1.2mの土坑の底部付近から、かわらけが完全な形で出土しました。比爪館周辺で出土する赤みを帯びた色が特徴的なロクロかわらけです。遺構の性格としては、便所や肥溜めなどの用途が推測されます。平泉の柳之御所遺跡でも類似する遺構が多数確認されています。
 北条館跡は、比爪館の北東側約0.7㎞に位置しています。12世紀の遺構・遺物の存在は、当時、比爪館を中心として現在の小路口や大銀など北上川西岸まで比爪の都市域が広がっていたことを示す傍証になりそうです。

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かわらけが出土した土坑

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かわらけが完全な形で出土しました。

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出土したかわらけ 径13.5㎝

(令和元年6月14日現在)

 

 焼土を調査しています。これまで十数か所見つかっており、今後も数は増えそうです。大きさは径70~80㎝の円形や楕円形で、一方向に張り出しを持ち、穴のように中央が窪むものが多いです。焼土は、張り出した部分を中心に側面が強く被熱し、色調が赤色に変化しています。穴のなかに堆積した土には、たくさんの粘土や焼土の塊、炭化材などが混入します。
 いつ頃、何に使われたものかを解明するため、今後も調査を続けていきます。

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 焼土の検出状況、写真左側が焼けて赤くなっています。

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 楕円形の穴のなかに堆積した土の様子。炭化材も出土しています。

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 連日の暑いなか、たくさんの焼土を調査しています。
(令和元年5月31日現在)

 試掘を終えて、重機で表土を除去した後、南側から検出作業を行い、遺構・遺物の確認を進めています。まだ作業途中ですが、たくさんの柱穴や焼土、竪穴や溝などが見つかっています。これから、ひとつずつ調査を進めていきます。
 祥符通寳(しょうふつうほう)(北宋、1009年初鋳)、天聖元寳(てんせいげんぽう)(北宋、1023年初鋳)、永樂通寳(えいらくつうほう)(明、1408年初鋳)など、北条館が機能していた時期に使用された銭貨も出土しています。

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たくさんの柱穴や焼土、溝などが見えてきた検出状況。

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銭貨の出土状況

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出土した銭貨(左から)、祥符通寶・天聖元寶・永樂通寶

(令和元年5月15日現在)

 北条館跡の今年度の調査は4月8日から始まりました。昨年度は館跡の南側を調査し、堀跡などを確認しました。今年度は館跡の北側を調査します。かつて行われた館の普請(ふしん=堀や土塁などをつくる土木工事)と作事(さくじ=建物や塀などをつくる建築工事)の痕跡について調査で確認していきたいと思います。北条館跡の縄張(なわばり=平面構成)は、どうなっていたのか。館として使われていた時期は、いつ頃なのか。ナゾ解きに期待がふくらみます。

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現場事務所から東根山、南昌山、岩手山が見えます。 北条館に居た領主も西側に続く山並みを見ていたことでしょう。

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調査開始前の遺跡の現況です。奥の築堤部分が昨年度の調査区。手前が今年度の調査区です。

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はじめに試掘を行い、土層の堆積状況を確認します。

(平成31年4月23日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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