室内整理

いわて調査情報/2020年3月25日現在

DATA

遺跡名 室内整理
所在地 岩手県盛岡市下飯岡11地割185番地
事務所 019-638-9001
調査期間
時代
検出遺構
出土遺物

沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)

 沢田Ⅲ遺跡から出土した縄文時代中期の土器は、前葉・中葉に属するものは比較的少なく、後葉から末葉に属するものが大多数を占めます。中期末葉に竪穴住居の数がもっとも多くなり、集落の規模が最大になります。
 この時期の土器の器種は、深鉢、浅鉢のほか、壺形土器が散見されるようになり、朱が塗られた痕跡を持つものも多く見られます。また、深鉢では、撚糸文(よりいともん)や結節(けっせつ)縄文などの特徴的な縄文のみが施文された深鉢の割合が増える傾向があります。
 このような状況のなかで、朱が塗られた壺形土器は、煮炊きに使用したとされる深鉢とは用途が異なる特別な土器だったのかもしれません。 

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朱が塗られた壺型土器

 

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大小いろいろな壺形土器

 

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撚糸文や結節縄文が施文された中期末葉の深鉢形土器

  (令和2年3月24日現在)

 

 

 

 

 

沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)

 沢田Ⅲ遺跡から出土した縄文時代中期の土器には、大木7・8・9・10式と想定される土器群があります。これらの土器には、次のような特徴があります。
 器種は主に深鉢で、少量ですが浅鉢や壺などもあります。胎土に礫や砂粒は含まれますが、量は少なく、内面も滑らかに調整されます。地文の縄文は、器面に緻密に施文され、単節縄文・複節縄文・撚糸文(よりいともん)など、土器型式によって多用される地文が少しずつ変化していきます。渦巻きなど曲線的な文様を表現するために貼り付けられた粘土紐は、両端が丁寧に調整され、土器本体と密着します。文様の表現方法は、粘土紐の貼り付けから沈線(ちんせん)や、刺突(しとつ)による列点(れってん)などに次第に移行していきます。

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中期後葉(大木9式)の土器

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中期末葉(大木10式)の土器

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貼り付けられた粘土紐の両端は丁寧に調整され、土器に密着します。胴部の文様は、側面に沈線を沿わせた隆沈線(りゅうちんせん)で描かれています。

(令和2年2月21日現在)

 

沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)

 沢田Ⅲ遺跡の縄文時代前期の土器には、外面・内面にスス・コゲの付着したものが多く見られます。何度も繰り返して使用したのでしょう。熱を受けて、器自体が脆くなっているものが多い印象を受けます。
 また、縄文の代わりに植物のオオバコの花茎(かけい)を用いて文様を施した珍しい土器もあります。岩手県では、盛岡市の上八木田Ⅰ遺跡、西和賀町の峠山牧場Ⅰ遺跡B地区・清水ヶ野遺跡など少数の遺跡で、縄文時代前期後葉~末葉(大木5~6式期)の土器に施文される事例が報告されています。沢田Ⅲ遺跡の土器も興味深い貴重な事例となりそうです。

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   外面上半部に全周するようにススが付着した土器。
 口縁部の形状は、正面と背面で異なります。

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 胴部にオオバコ回転文が施された土器

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 口縁部付近の補修は作業を途中で止めたか、二箇所の穴は貫通していません。

(令和元年12月26日現在)

沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)

 沢田Ⅲ遺跡から出土した縄文時代前期の土器は、大木2式・3式・4式・5式・6式と推定される土器群です。これらの土器には次のような特徴があります。
 器種は主に深鉢です。形はバケツ形や胴部が膨らむものなどいろいろです。胎土には礫や砂粒が多く混じり、内面も凹凸があり、全体に厚手につくられています。地文の縄文は、全体に節(縄の粒)が大きく、大まかに施文されている印象を受けます。三角形やX字状など様々な文様を表現するために貼り付けられた粘土紐は、土器本体との滑らかな一体感がなく、貼り付けた粘土紐の形が明瞭にわかります。

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縄文時代前期の土器群

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胎土に混じる礫や砂がみえる内面

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大まかに施文された縄文

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波状に貼り付けられた粘土紐

(令和元年11月28日現在)

 

沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)

 動物遺存体の整理作業を進めています。沢田Ⅲ遺跡では、時代によって出土した貝殻の組成が、少しずつ変わる傾向があります。縄文時代は、二枚貝のアサリ主体で、次に巻貝のウミニナ・二枚貝のヒメシラトリの割合が高いようです。古代では、アサリ以外の貝では、二枚貝のイガイやイソシジミの割合が高くなります。中世になると、巻貝のキサゴが大多数を占めるようになります。
 数万個を数えるアサリの大きさは、殻長2.0~4.0㎝、殻高1.5~3.0㎝の範囲に多く分布します。現在、店頭に並び、私たちが購入して食べるアサリと、ほぼ同じです。
 報告書では、縄文時代・古代・中世の各時代の遺跡周辺の環境や食料事情を考える手掛かりとなるデータを提示したいと思います。

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ホタテの大きさを左殻と右殻に分けて計測します。

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大量に出土したキサゴの大きさを地道に計測します。

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計測した数値の集計作業に没頭しています。

(令和元年10月23日現在)

沢田Ⅲ遺跡 (室内整理) 

 沢田Ⅲ遺跡は“貝塚”の名称は付いていませんが、調査では、縄文時代中期の竪穴住居跡から大量の貝殻や獣骨・魚骨などが出土しました。貝殻の内訳は、二枚貝ではアサリ、巻貝ではウミニナやキサゴが大多数を占めます。砂泥底にすむ貝類が多く、当時の海辺の環境を反映しているのでしょう。
 現在、山田湾から直線距離約800m、標高約12~30mの地点に位置する遺跡は、海の幸を容易に採取できる場所だったようです。貝の種類ごとに数量や大きさを把握し、縄文時代の山田湾周辺の環境や食料事情を知る手がかりになるよう、データを蓄積しています。

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美味しかった?たくさん出土したキサゴの殻の数を数える。

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美味しかった?ホタテの右殻。左側の個体は殻長14㎝ほど。

(令和元年9月19日現在)

沢田Ⅲ遺跡 (室内整理)

 沢田Ⅲ遺跡の昨年度の整理では、主に古代(古墳時代後期から奈良時代)の出土遺物について紹介しました。今年度の整理では、縄文時代の出土遺物について紹介します。出土遺物は多量で、縄文時代前期・中期の土器・土製品、石器・石製品、アサリ主体の貝殻、ニホンジカ・イノシシなどの哺乳類、マイワシ・マグロ・ニシンなどの魚類からなる動物遺存体、クリ・トチなどの植物遺存体があります。作成した実測図や拓図、写真などの数量は多く、今後も整理作業は続きます。たくさんの情報を整理しながら、各遺物の特徴を紹介していきます。

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写真撮影する土器を準備しています。

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図と表を照合して、膨大な情報を確認しています。

(令和元年8月22日現在)

田鎖車堂前遺跡 (室内整理)

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 田鎖車堂前遺跡では弥生時代の遺物もみられます。写真は太型蛤刃(はまぐりば)石斧・柱状片刃(かたは)石斧・扁平(へんぺい)片刃石斧など「大陸系磨製石器」と呼ばれる石器です。稲作文化とともに大陸や朝鮮半島から列島に伝わった石器類であると考えられています。宮古地域と稲作文化圏とのつながりを示す遺物です。
(令和元年5月9日現在)

田鎖車堂前遺跡 (室内整理)

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田鎖車堂前遺跡の整理作業は昨年度途中から行っております。写真は縄文時代中期の珍妙な土器です。上部は脱着可能で、口が横向きになっています。赤色顔料の容器として作られたものであると考えられ、内側は顔料で真っ赤です。食堂などに置いてあるソースの容器にも似ています。
(平成31年4月23日現在)

長谷堂貝塚 (室内整理)

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 長谷堂貝塚で見つかった貝(合計1.6トン)のうち、二枚貝ではアサリ、巻貝ではウミニナが90%以上を占めています。ウミニナは干潟に棲(す)む小型の貝で、現在でも塩ゆでなどにして食用にされているようです。
 写真はウミニナの貝殻の大きさ(殻高(かくこう))を計測している作業の様子。約3700個を計りました。どの程度の大きさに集中するか、層による計測値の変化があるかといった点を調べ、特定の季節に採っていたのかなどについて確かめる予定です。

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 出土したウミニナ。この個体の大きさは、殻高3.3㎝ほどです。
(平成31年4月2日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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