中平遺跡

いわて調査情報/2021年11月16日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 中平(なかたい)遺跡
所在地 岩手県野田村大字野田第22地割
事務所 080-1668-0103
調査期間 令和3年7月5日~11月12日
時代 縄文時代・古代
検出遺構 縄文 竪穴住居、土坑、落とし穴
古代 竪穴住居
出土遺物 縄文 土器、石器
古代 土師器、須恵器、鉄製品、コハク、鉄滓
写真①バージョンダウン(編集用)

写真①

中平1112写真②縮小

写真②

 1112日で、今年度の調査を終了しました。

写真①は遺跡を南西上空から撮影した写真です。写真奥に見えるのが十府ヶ浦海岸で、遺跡は海側に向かって緩やかに広がる丘陵上に位置していることがわかります。

写真②は遺跡を直上から撮影した写真です。今年度の調査では、尾根の頂部を中心に縄文時代前期と平安時代の集落が営まれていたことがわかりました。また、縄文時代中~後期においては狩猟場として機能していたことも明らかとなっています。

調査は次年度も継続予定です。

(令和3年11月12日現在)

中平1022縮小

古代の竪穴住居の中には、屋根や柱などが焼けて炭化材となり、床面に散らばった状態で出土する「焼失住居」が見つかることがあります。火災の原因は、廃屋に人為的に火をかけていた他、失火や自然火災など様々な可能性が考えられます。写真の住居は出土遺物が少ない点やカマドが壊されていたことから、居住者によって意図的に燃やされた可能性が高いようです。

焼失住居は出土した炭化材の状況から建物の構造を復元できる他、家の中に土器などの道具類がまとまって残されている場合もあり、当時の暮らしを窺い知ることができる点で多くの情報が詰まった遺構と言えます。

(令和3年10月26日現在)

中平1001写真②縮小

写真①

中平1001写真①縮小

写真②

古代の竪穴住居を埋めていた土を取り除いたところ、北側の壁からカマドが見つかりました(写真①)。

カマドの芯材には複数の石が用いられており、ドーム型に組み合わせて形作られていたものと推測されます。手前の赤く見える箇所は火を焚いた場所、奥側の穴の開いた箇所は屋外に煙を排出するための煙道です(写真②)。

カマド周辺からは煮炊きに使っていたとみられる土器の破片も見つかっています。

(令和3年10月1日現在)

中平0917写真1縮小

写真①

中平0917写真2縮小

写真②

古代の竪穴住居の調査を進めています(写真①)。縄文時代の住居とは異なり、住居内は黒い土で埋まっていました(写真②)。掘り下げるにつれ、古代の土器「土師器」や、製鉄に関連した遺物の「鉄滓」が出土しています。

時期については、約1,100年前に十和田湖から噴出したと考えられる火山灰が見つかっていることから、平安時代と推測されます。

(令和3年9月17日現在)

中平0827写真①縮小

写真①

中平0827写真②差し替え縮小

写真②

縄文時代の竪穴住居や落とし穴の調査を始めています。①は竪穴住居の掘り下げをしている写真です。中央に畔を残し、埋まった土を観察しながら、床や壁を見極めて掘り進めています。

②は平面形が円形の落とし穴を半分掘り下げた写真です。埋まった土の上部には約6,000年前に十和田湖から噴出したものと考えられる火山灰(黄色い塊)が確認できます。このことから、この落とし穴は火山灰が堆積する以前につくられたものと言えます。

(令和3年8月27日現在)

中平0730縮小

調査区の検出作業を進めています。古代の竪穴住居跡と考えられる場所(黒く見える箇所)の他、縄文時代の竪穴住居跡や土坑と考えられる遺構が見つかっています。
本遺跡は古代の集落として知られていましたが、縄文時代にも集落が営まれていた可能性があることから今後の調査で明らかにしていきます。

(令和3年8月2日現在)

中平0709縮小

7月5日から発掘調査を開始しました。
中平遺跡ではこれまでも複数回の発掘調査が行われており、古代の竪穴住居跡が数多く見つかっています。また昭和期には、竪穴が埋まり切っていない状態と考えられる、地表面で確認できる窪みの分布調査が行われ、それらが広範囲に分布していることが予想されています。
今回は、野田中学校前の道路を挟んで北側を主に調査します。現在、試し掘りを行っており、竪穴住居跡の可能性がある場所を複数確認しています。

(令和3年7月9日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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