明神下遺跡

いわて調査情報/2021年8月3日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 明神下(みょうじんした)遺跡
所在地 岩手県奥州市胆沢下堰袋44番地ほか
事務所 080-8215-0988
調査期間 令和3年4月7日~7月30日
時代 平安時代
検出遺構 平安時代 竪穴住居・土坑・溝
時代不明 落とし穴
出土遺物 縄文時代 縄文土器、石器
平安時代 土師器、須恵器、
     鉄製品(短刀・刀子・鉄鏃・紡錘車など)

 

写真①縮小

写真①

写真②縮小

写真②

写真③縮小

写真③

先週、ドローンを使って上空から写真撮影を行いました。天候がなかなか安定しない日が続きましたが、撮影日は晴天で、良い写真を撮影してもらえました。
上空からみると、調査区の西側には焼石連峰が(写真①)、また調査区の東側には胆沢扇状地の広がり(写真②)が確認でき、改めて明神下遺跡がそのような場所に立地していることに気づきました。写真③はこれまで紹介してきた遺構群の広がりを撮影したものです。
明神下遺跡の発掘調査は終了しました。今年度は、平安時代の竪穴住居25棟以上、掘立柱建物10棟以上などがみつかり、昨年度の調査区から続き、平安時代の集落が大きく広がっていることが分かりました。

(令和3年8月2日現在)

写真①縮小

写真①

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写真②

調査も大詰めですが、貴重な遺物が出土しました。
写真①は平安時代の竪穴住居ですが、現代の削平により遺構全体の半分が消失しています。ただし、そのような状態でも、土師器や須恵器などの遺物がたくさん出土しています。
写真②はこの竪穴住居の柱穴から出土した緑釉陶器(皿)の破片です。昨年度と合わせて、緑釉陶器片は2点目です。

(令和3年726日現在)

写真①縮小

写真①

写真②縮小

写真②

調査も大詰めです。
写真①は平安時代の竪穴住居です。6月に紹介した竪穴住居と同様に、カマドの芯材として、大きな石が設置されています。
写真②は7月5日に紹介した、大きな溝です。用途については、これから検討していきたいと思います。

(令和3年719日現在)

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4月に取り上げた須恵器の大甕は、その後、盛岡の埋蔵文化財センターで復元され、実は2個であることが分かりました。
せっかくなので、7月6日の現地公開の際、展示して、見学に来た方々にも見てもらうことにしました(写真)。

(令和3年712日現在)

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調査も終盤を迎えています。
竪穴住居の少ない場所で、大きな溝(?)がみつかり、みんなで掘っています。底に大きな石が溜まっており、それらが重いので、力自慢の男性作業員が並んで作業をしています。

(令和3年75日現在)

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写真①

明神下0628-2縮小

写真②

明神下0628-3縮小

写真③

先週は雨の日が多かったですが、調査を進めました。
写真①は、竪穴住居の調査風景です。この竪穴住居は比較的小型の住居ですが、それでも床面やカマドの周辺からは土師器の甕や坏が出土しています(写真②・③)。
明神下遺跡では竪穴住居の規模に関わらず、土師器や須恵器などの遺物が比較的多く残されているのも特徴の一つです。

(令和3年6月28日現在)

 

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写真①

明神下0621-2縮小

写真②

平安時代の竪穴住居の調査を進めています。
写真①は、竪穴住居の床面を構築する土を作業員さんが丁寧に掘り下げているところです。古代人がどのようにして竪穴住居を作ったか、特に床面をどのように作ったかを調査します。
写真②は床面の土が全て取り除かれた状態です。床面のあった範囲はデコボコです。

(令和3年6月21日現在)

 

明神下0614-1縮小

写真①

明神下0614-2縮小

写真②

写真①は先週、土師器や須恵器が出土した平安時代の竪穴住居です。この竪穴住居は一度、建て替えしており(リフォームのようなもの)、床面を大きくしているようです。
写真②は住居のカマドです。芯材(カマドの骨組み)として大きな石を並べて設置していました。このカマドのつくり方は昨年度の調査で見つかった竪穴住居のカマドと同じです。

(令和3年6月14日現在)

 

写真①縮小

写真①

写真②縮小

写真②

引き続き、平安時代の竪穴住居を調査しています。竪穴住居からは、土師器や須恵器が出土しています。主にカマドや(写真①)、その周辺(写真②)から出土することが多いです。

(令和3年6月7日現在)

 

 

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これまでとは別の場所の調査を進めることになりました。
重機で表土を剥いだところ、竪穴住居や溝跡が見つかりました(写真ほぼ中央、黒色の方形が竪穴住居、手前が溝跡)。少し掘り下げたところ、土師器や須恵器が出土したので、これまでと同じ平安時代の遺構と考えています。

(令和3年5月31日現在)

 

写真①縮小

写真① 炭化材が出土した竪穴住居

写真②縮小

写真② 炭化材の出土状況

竪穴住居の床面からたくさんの炭化材が出土しました(写真①・②)。住居の屋根を構成する木材が、焼けて落ちたものの可能性があります。
昨年度の調査でも、多くの竪穴住居から炭化材が出土しましたが、分析の結果、木の種類はコナラ属やクリが多いことが分かりました。

(令和3年5月24日現在)

 

SB13

写真①

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写真②

先週は、掘立柱建物を確認しました。写真①の掘立柱建物は、約8m×4mの大きさで、10本の柱穴で構成される建物です。掘立柱建物の周辺には、他にも柱穴が多く見つかっています。作業員さんとともに、ジョレンがけをして柱穴を探し、見つかった柱穴は、1個ずつ土層を確認しながら掘っていきます(写真②)。

(令和3年5月14日現在)

 

写真①縮小

写真①

昨年と同様、竪穴住居のほかに、落とし穴が見つかっています。落とし穴は長さ1m以上で、深さは約80cmです(写真①)。

写真2

写真②

現在、3基の落とし穴を調査しましたが、これらは、ほぼ列状に並んでおり
(写真② 赤い矢印)、昨年度調査した落とし穴の一群から続いています。

(令和3年5月7日現在)

 

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前回紹介した須恵器の大甕を取り上げました。幸運なことに、大甕は胴部の一部から底部が壊れずに残っていました。これ以上壊れないように、作業員さん2人が丁寧に取り上げてくれました(写真)。
今後、この須恵器の大甕は他の破片と共に、盛岡の埋蔵文化財センターに運ばれ、水洗、接合されます。どれぐらい大きな大甕になるか楽しみです。

(令和3年4月30日現在)

 

写真①縮小

写真①

写真①は平安時代の遺構で、床面の広い範囲が赤く焼けていました。遺構からは刀子(とうす)や紡錘車(ぼうすいしゃ)などの鉄製品が20点以上出土しているので、焼けた範囲は、このような鉄製品を作るための鍛冶炉ではないかと考えています。

写真②縮小

写真②

また壁際のコーナーには須恵器の大甕が床面に据え付けられていました(写真②)。

写真③縮小

写真③

大甕は残念ながら上半分が壊れていましたが、その破片が大甕の内側(写真③)や周辺から見つかっています。大甕本来の使い方を知る、貴重な資料になります。

(令和3年4月26日現在)

 

今年度の調査を開始しました。
明神下遺跡は、昨年度の続きからなので、遺構の調査から始めています(写真①)。

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写真①

写真②は、竪穴住居の柱穴から出土した、土師器の坏です。3点の坏が重なった状態で見つかりました。

写真②縮小

写真②

他にも遺構からは土師器や須恵器、鉄製品などが出土し始めていますので、これから紹介できたらと考えております。

(令和3年4月19日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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