現地説明会
フォトレポート 中井遺跡現地説明会を行いました。(10月4日)
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秋晴れの10月4日、奥州市胆沢の中井遺跡現地説明会を開催しました。

この遺跡は、胆沢川の南岸で、胆沢川によって形成された低位段丘上に位置しています。周辺には水田が広がり、ちょうど稲刈りが終わった時期です。農作業の途中で見学に訪れた地元の方々も見られます。
調査では、平安時代、およそ1,100年前の十和田からの火山灰に覆われた水田跡が見つかったことが大きな成果です。県内では当時の水田跡は6遺跡で見つかっていますが、そのうち4遺跡がここ奥州市です。
まず一カ所目の水田です。
細長い調査区で、どこが水田かわかりづらいですね。
調査区の断面を見ると白っぽい火山灰が確認でき、それから上は中~近世の耕作土、さらに上は現代の耕作土で、火山灰より下は平安時代以前の耕作土です。堆積状況を見ると、火山灰は直接降り積もったものではなく、後から流れ込んで溜まったもののようです。
今は、あぜ(中央の十字のベルト)を残して火山灰を掘り上げていますが、この部分が当時の水田のようです。
よく見ると火山灰が帯状に途切れている部分があり、わずかに標高が高い畦畔が認められます。

また、調査員が立っている場所には、火山灰がなぜかポツポツと粒状に残っています。
拡大した写真です。
耕作していたイネの茎の部分に火山灰が入り込んで溜まったもののようです。
もう一カ所の水田跡です。
こちらは調査中で、火山灰を掘り上げる前の状態です。白く残っている部分(矢印の部分)が水田です。
水田のほかに、平安時代の竪穴建物も見つかりました。
新しい攪乱で壊されていますが、カマドの跡が残っています。調査員の立っている場所が建物の中です。
近づいてみましょう。
カマドに面した床面は踏みしめられて、固く締まっています(おおよそ点線の内側)。
このほかにもう一棟の建物が見つかりました。これらの建物と水田が同じ時期かどうかは、今後年代測定などで明らかにしていきます。
平安時代の溝跡です。竪穴建物の近くから見つかりました。
やや高いところに営まれた集落と、低い場所にある水田を分ける溝なのかもしれません。
テントの下には、出土遺物が展示されています。
平安時代(9~12世紀)から、鎌倉時代終わりごろ~室町時代(14世紀)、江戸時代、明治時代までの長い間の土器や陶磁器などの遺物が見つかっています。平安時代の製塩土器といった珍しいものもありました。



県内でも古い平安時代の水田が見つかっている胆沢川南岸ですが、この中井遺跡でもそのことが証明されました。
この地域は今も昔も県内有数の米どころのようです。
2025年10月9日掲載
※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。