現地説明会

フォトレポート 山ノ神Ⅱ遺跡の現地説明会を行いました! 11月8日開催

11月8日(土)、秋空の下、花巻市の山ノ神Ⅱ遺跡の現地説明会を開催しました。

当日の資料は こちら

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南端から見た調査区 広すぎて、北端が見えません・

この遺跡は、豊沢川の南岸にあり、調査前は果樹園や畑地が広がっていました。今回の調査は、産業団地整備に伴うもので、対象面積65,685㎡、東京ドームを軽く超える広大な調査区です。一見起伏が少なく、平坦な地形に見えます。

連日熊の出没が問題となっていますが、この地区も例外ではなく、前日に周辺で熊が出たという情報がありました。

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熊鈴を常に鳴らしています。

現場では、熊鈴を身に着け、ラジオや爆竹を鳴らしています。

当日は、熊の出没情報はなく、現地説明会を予定通り始めることができました。広い調査区なので、担当調査員も大勢です。
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山ノ神Ⅱ遺跡では、今年度209基もの縄文時代の落とし穴と平安時代の炭窯7基などが見つかっています。

こちらは、長方形の落とし穴です。

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落とし穴の調査で困ることは、動物を捕る施設なので、土器が出ないことです。ふつうは、どんな土器が出土したかで遺構の時期を推定するので、土器がないと年代がわかりません。

しかし、このような長方形や円形の落とし穴の多くには、およそ6,200年前に十和田の火山が噴火して降った火山灰が堆積しており、少なくとも火山灰が降る前の縄文時代前期前半頃に作られたことが分かりました。火山灰、入っていてよかった!

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断面の写真の白く見える層が火山灰です。

落とし穴の底には、小さい穴が見つかることがあります(矢印)。逆茂木が立てられていたようです。

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こちらは細長い溝状の落とし穴です。

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長さ4mほど。深くて、信じられないほど底が細い!金属のなかった縄文時代、どのように掘ったのでしょうか。
溝状の落とし穴の年代は詳しくわかりませんが、過去の研究成果などから縄文時代中期と推定されています。

ところで、見てお分かりのとおり、落とし穴など少し深い穴を掘ると、どんどん水がわきます。こちらも2台のポンプで鋭意排水中!

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先日の雨で、調査区はぬかるんでいるところが多かったのですが、ムシロなどで、通りやすい通路が設けられていました。

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こちらは、平安時代の炭窯です。

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現代の炭窯のドームのような上部構造はなく、穴を掘っただけの簡素なつくりです。壁の一部が焼けており、掘り上げてしまいましたが、底には炭の細片が堆積していました。土器もないのになぜ平安時代と分かったかというと、ここにも、西暦915年に降った十和田の火山灰(!)が堆積していたからです。調査時の埋土のようすをパネルでご覧いただいています。

調査区東側の方に移動します。左手調査区は雨で水没しています。

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このようにところどころ水浸しです。

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現在は、一見平らに見える調査区ですが、果樹園にするためにだいぶ削平されており、昔はもう少し起伏があったことがわかりました。水の中にも連続した溝状の落とし穴が見えていますね。

土壌を分析したところ、当時の花粉から縄文時代にはこの周辺は草原で、低いところにはハンノキ、ヨシなど水辺の植物が生えていたことが分かりました。

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 人々は、けもの道に多くの落とし穴を掘り、追い込み猟で獲物を捕らえていたと考えられます。

 

長さ2m前後のやや短めの溝状落とし穴は、連続して設けられることが多いことが分かりました。手前から、1,2,・・5・・

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集落ではないので、数は少ないですが、縄文土器。土師器、石器などが見つかっています。

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今回の現地説明会で、この地を過去の人々がどのように利用してきたか、ご覧いただくことができました。特にも縄文時代前期、中期に作られた様々な形の数多くの落とし穴は、縄文時代の狩猟の方法を探るうえで貴重な資料となりました。

                         令和7年11月8日

 

 

 

 

2025年11月13日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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