イベントレポート

万丁目(まんちょうめ)遺跡 現地説明会レポート

 平成30年10月27日(土)、万丁目遺跡の現地説明会が開かれました。万丁目遺跡は花巻市南万丁目844-1にあり、花巻南インターチェンジのすぐ隣に位置しています。
 発掘調査は経営体育成基盤整備事業に伴い11,500㎡の調査が行われたものです。1985年にインターチェンジ建設工事に伴い、万丁目遺跡の南側の範囲の発掘調査が行われています。

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 写真1の事務所の南側には、写真2の左奥に映る花巻南インターチェンジが隣接しています。
 あいにくの雨模様でしたが予定どおり、13時半から現地説明会が行われました。

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 所長のあいさつに続き、担当調査員から調査全体の概要説明が行われました。
 調査の結果、柱穴4,200個(これらにより構成される掘立柱建物168棟)、中世の竪穴建物8棟、カマド状遺構24基、井戸1基、溝19条、池1基、土坑82期、古代の竪穴建物3棟、縄文時代の炉1基、落とし穴17基が確認されたとの紹介がありました。
 出土した陶磁器の年代観から推測するとこの居館の存続年代が12世紀~15世紀前半であろうという見解が話されました。
 また、手づくねかわらけが色調、胎土(粘土)の質から比爪産と判断され、この居館の住人が「比爪」(現紫波町南日詰付近・奥州藤原氏の平泉に次ぐ拠点)の勢力者と深い関係があったという解説がありました。
 この居館の存続期間について、13世紀~15世紀前半までの陶磁器も出土していることから、奥州藤原氏の滅亡後も、存続し続けたと考えれられるとの見解が示されました。
 また、この遺跡から遠望できる数キロ離れた飯豊城のある「飯豊森(えんでもり)」が、稗貫氏と南部氏の大規模な争いに発展した「永享の乱(1435~1436年)」の発端の戦場となったという解説がありました。この居館は、この乱の時期に営みが終焉しており、その契機が永享の乱であった可能性についても話されました。
 概要説明が終わった2時前ころには雨が上がり、遺跡に移動して説明が行われました。

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 まず、東西約80m×南北約50mの長方形の範囲を溝で区画されている部分の説明がありました。
 次に、区画の内部北西部に、優雅な曲線を有する土坑(SK14)の説明があり、形状・規模から庭園の「池」であると想定され、15世紀において日本最北端の池跡かもしれないとの見解が示されました。

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 次に区画内の中央に見つかった中の最大の建物(SB2)は、梁間約11m、桁行約24mの大規模なもので、居館の主殿と推測されるとの説明がありました。
 このあとは、遺跡内を自由に見学することになりました。
 参加されたみなさんから調査員に対してさまざまな質問が寄せられました。かわらけが出土した場所を聞いたり、住居跡の炉の場所を聞いたり、発掘調査が終了したあとこの遺跡がどのようになるのかなどの質問が寄せられ、調査員はそれぞれ疑問に応えていました。

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 事務所1階の奥には出土した遺物コンテナ9箱が並べられ、説明会が始まる前や自由見学の時間に参加された方々が写真を撮ったり真剣に見入っていたりしていました。

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 出土した遺物は、中世陶磁器(12~16世紀)、かわらけ(12世紀)、茶臼(中世)、銭(中世)、鉄鏃(中世)、土師器(8・9世紀)、縄文土器が見つかっています。現地説明会資料にある遺物のほか、写真11~14の出土遺物が展示されました。8世紀の土師器、9世紀の土師器・須恵器、11~14世紀の中国通貨、縄文時代の縄文土器なども出土しています。
 今回の現地説明会は、雨模様の中105名もの方々が参加していただき、大変充実した内容になりました。参加していただいた皆様、本当にありがとうございました。

当日の資料はこちらから。

 

2018年10月30日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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