イベントレポート

成田岩田堂館跡 現地説明会レポート

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 8月3日(土)、成田岩田堂館跡の現地説明会が開催されました。今回は6万㎡に及ぶ調査区のうち主に南東側の土塁で区画された部分約9千6百㎡についての公開です。
成田岩田堂館は中世の城館跡で、南側に広がる二子城の搦手(裏門)側にあたる場所にあり、和賀氏の家臣であった成田氏の屋敷が付近にあったとされています。調査前は畑や山林でした。館の中を県道39号線が横切っています。
 城の東側は北上川に至る比高差15mの断崖で、南側には深い谷があり、そこに小口(入口)があります。
 いよいよ塁の南側から小口(入口)を通って城館の中に入っていきます。

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 小口は両側を土塁に挟まれており、1人が通れるほどの狭さです。一気に攻め入ることのできないようにしているんですね。

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 曲輪に入ると左右の土塁の脇に門のあとが見つかりました。ヘルメットの調査員の足元に柱穴が2個あります。

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 北上川沿いのこの場所は、中世の人だけでなく、古代の人も利用していたようです。四角い浅い穴は炭窯のあとで、角のかけらや焼けた土が見つかりました。埋まっていた土に10世紀に噴火した十和田火山の火山灰が含まれていました。

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 こちらは11世紀の竪穴です。やや不正形な穴ですが、ここから県内でも大変珍しい、当時の土器が見つかっています。

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 成田岩田堂館は、西側と北側が土塁で囲まれていることを確認できました。西側の土塁の一部が周りより若干低くなっている場所がありました。そこを調べてみたところ、人一人分ぐらいの幅の狭い通路があり、内側にここでも門の跡が見つかりました。

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 これが門のあとの柱穴です。2個見つかっています。

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 掘立柱建物跡は土塁の内側から何棟か見つかっていますが、東の端からも数棟見つかりました。色の違うテープで柱の並びを示しています。同じところから複数の建物が見つかるということは何度か建て替えをしたことを示しています。

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 館跡を横切る県道39号線の北側から見つかった建物が最も大きいので、城館の中心的な建物と考えられます。ここも数棟重なっているようです。

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 調査区北を区画する堀です。開口部が広く底がごく狭い断面形をしています。
もし落ちてしまったら、身動きがとりづらいですね。

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 北側の堀は内側と外側に土塁も伴っており、守りを強固にしています。

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 最後のテントの中には今回の調査で見つかった遺物が展示されています。弥生土器の甕や壺、須恵器、土師器、かわらけ、陶磁器などです。館跡の時期は出土遺物から16世紀(戦国時代)と分かりました。
 この日は北上で34.5℃もあり、たいへん暑い中での開催でした。最後に冷たい麦茶で一息ついていただきました。今後は、今回調査区の北側の調査を進めていきます。
暑い中大勢の皆さんにご参加いただき、ありがとうございました!

当日の資料はこちらから。

2019年8月6日掲載

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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