明神下遺跡

いわて調査情報/2020年11月24日現在

DATA

遺跡名 明神下遺跡
所在地 岩手県奥州市胆沢下堰袋44番地ほか
事務所 080-8215-0988
調査期間 令和2年4月7日~11月末日(予定)
時代 平安時代
検出遺構 平安時代 竪穴住居・土坑・溝・掘立柱建物
時期不明 掘立柱建物
出土遺物 縄文時代 縄文土器、石器
平安時代 土師器、須恵器、灰釉陶器、緑釉陶器
     石帯(巡方・丸鞆)・砥石
     土製品(土錘)、鉄製品(短刀・刀子・鉄鏃など)
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写真1

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写真2

  調査も終盤ですが、竪穴住居を調査していると、まだたくさんの土師器や須恵器が出土します。
 写真1は住居の埋土中から、また写真2はカマドとその周辺から出土した土師器や須恵器です。ほとんどが破片ですが、今後、これらの遺物を水洗し、接合され、元の状態に復元します。
(令和2年11月24日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 調査も大詰めです。先週はドローンによる空撮を行いました。
 上空からみると、明神下遺跡は、奥羽山脈のふもとにあり(写真1)、また広い胆沢平野の西端に位置している(写真2)ことが分かります。
 写真3は今調査中の竪穴住居や陥し穴が広がる場所を撮影したものです。
(令和2年11月16日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 写真1は先月紹介した、長方形の竪穴住居です。長辺の片側に寄って、大きなカマドが付いているのが特徴です。
 カマドの袖は手前側が崩れており、芯材である大きな石が露出していました(写真2)。
 カマドの袖の中を調べるため、残っている袖の構築土を外しました。すると芯材にはやはり大きな石が使われていましたが、そのほかに、須恵器の破片が多く出土しました(写真3)。カマドを作る際に、石や土のほかに須恵器の破片を使うとは驚きです。
(令和2年11月9日現在)

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写真1

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写真2

 深さ約1mの大きな土坑が見つかりました。(写真1)そして、この土坑の底面よりやや上の方からは、鉄鍋1点が(写真2)、さらにその下からは人骨が出土しました。したがってこの土坑はお墓であり、鉄鍋は人骨の頭部に被せられていたと推測されます。
 また人骨の脇からは「永楽通宝」というお金(「三途の川の渡し賃」?)が数枚出土しています。永楽通宝は中世から江戸時代に流通したお金なので、このお墓はその時代のものと考えます。
(令和2年11月4日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 写真1は平安時代の竪穴住居で、大きさは一辺約6mです。
 カマドの残りがよく、特にカマドの天井に大きな石をはめ込んでいるのが特徴です(写真2)。
 また埋土中からは鉄製の紡錘車が出土しています(写真3)。
(令和2年10月19日現在)

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写真1

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写真2

 大きな土坑が並んで見つかりました(分かりづらいですが、写真1の真ん中の大きな穴です)。
 この土坑は、5月に紹介したものと同じで、平面形は上端が楕円形、底は長方形をしています。これらの土坑群が一定の間隔で並んでいることから、何らかの動物を獲るための陥し穴と考えられ、この場所が、平安時代の集落である以前、狩りをする場であったものと推測されます。     
(令和2年10月19日現在)

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 写真はまだ調査中ですが、長方形の竪穴住居です。明神下遺跡でみつかる竪穴住居は大きさ、形ともに様々で、このような長方形の竪穴住居も珍しくありません。
 また住居の壁が50cm以上残っており、それに伴いカマド(写真右側の壁際)も非常に良好な状態です。今後、このカマドや柱穴などを調査していきます。
(令和2年1012日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 調査もだいぶ進みました。6月に表土剥ぎや鋤簾掛(じょれんか)けの様子を紹介しましたが、今はその場所の遺構を調査しています(写真1)。
 長い溝が見つかっており、その溝は写真2のように、竪穴住居の一部を壊していることがあります。この竪穴住居は幸い、カマドが壊されずに残っており、カマドの内側からは、破片ですが土師器の甕が見つかりました(写真3)。
(令和2年10月5日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 写真1は、一辺が約8mある大きな竪穴住居です。同じ方向にカマドを作り替えているのが特徴で、カマドから続く煙道(えんどう)が2か所見つかりました。
 またこの住居では、カマドから緑釉(りょくゆう)陶器(写真2)が、また柱穴から鉄製の紡錘車(写真3)が出土しています。
 8月に紹介した、石帯が出土した竪穴住居もそうでしたが、明神下遺跡では大きな竪穴住居から貴重な遺物が出土する傾向があるようです。          
(令和2年9月28日現在)

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写真1

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写真2

 先週も竪穴住居を調査し、また変わった遺物が出土しました。
 写真1は、写真では分かりづらいかもしれませんが、高さ約3㎝、口径4.5㎝の非常に小さい「ミニチュア土器」です。
 写真2は口の部分が内側に折り曲げられた形の土師器で、「みみざら」と呼んでいます。
 これからもこのような遺物が出土するかもしれません。
(令和2年9月23日現在)

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写真1

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写真2

 平安時代の竪穴住居の調査を進めております。比較的、どの竪穴住居からも遺物が出土します。
 写真1は土師器です。住居の床面に設置された大きな穴からまとまって出土しました。
 写真2は別の住居から出土した砥石です。四角い形をしているのは側面を使って研いでいるためで、正面がツルツルしています。明神下遺跡からは他にも数点、砥石が出土しています。
(令和2年9月14日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 写真1は、カマドの残りが比較的良い竪穴住居です。これまで紹介してきた住居と同じで、平安時代のものと考えます。
 この住居の大きな特徴は、床面近くから大きな炭化材や焼土の塊がたくさん見つかったことです(写真2)。何らかの理由で、住居に火をつけた(火事になった?)と推測しています。
 また床面近くで土師器や須恵器が見つかっており、なかでも写真2の赤矢印の場所からは、口の部分が欠けただけの立派な須恵器の壺が出土しました。この壺の口の部分には文字を刻んだ痕がみられます(写真3)。残念ながら一部は欠けており、何と書いてあるかは解読できませんが、欠けた部分が見つかる可能性もあるので、今後気をつけてみていきたいと思います。
(令和2年9月7日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 調査区の東側半分について、ドローンを使って空から写真を撮影してもらいました。
 写真1は調査区から少し離れて撮影しており、写真の右側には胆沢川が流れ、また奥側には雲に隠れていますが奥羽山脈が連なります。
 写真2は調査区をアップで撮影したものです。これまで紹介してきた竪穴住居などの遺構が写っています。
 また写真2のほぼ真ん中に、「E」の字を描くような溝が写っています。写真3はそのアップですが、人と比べると非常に大きい溝であることが分かります。何を区画するための溝だったかはこれから考えていきたいと思います。
(令和2年8月31日現在)

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写真1

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写真2

 また別の竪穴住居を調査中です(写真1)。
 竪穴住居からは、土師器や須恵器のほか、鉄製品も出土しています。写真2はその一つで、刃部の長さ約15㎝の「短刀」です。他にも鉄製の矢じり(「鉄鏃」)なども出土しています。
(令和2年8月24日現在)

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写真1

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写真2

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写真3

 一辺約8mの大きな竪穴住居を調査しています(写真1)。変わった遺構で、床面の中央部分が高く貼床され、その上に細長い炉がつくられています(写真2)。何に利用された炉なのかはまだ検討中です。
 また、この遺構の床面近くで腰帯装身具である石帯(せきたい)が8点出土しています(写真3)。石帯は半円状の丸鞆(まるとも)5点、四角い巡方(じゅんぽう)3点です。8点とも素材となる石材は同じもののようです。一つの遺構から石帯がこのように出土することはなかなかありません。    
(令和2年8月17日現在)

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写真1

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写真2

 先週まで紹介してきた竪穴住居などの他に、径50㎝前後の柱穴が100個ほど集中する場所があり、これらも合わせて調査しています。
 なかには写真のように長方形に並ぶ柱穴があり、これらは何らかの建物と考えています。建物の大きさは写真1が8×6m、写真2は4×2mです。残念ながら、これらがいつの時代に建てられたかはまだ分かりません。    
(令和2年8月3日現在)

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 5月に紹介した溝が方形に巡る遺構を調査しています。
 大きさは6m四方で、溝は2箇所、途切れています。
 「方形周溝」と呼んでいるお墓ではないかと考えるのですが、溝自体は浅く、また巡った溝の内側からは何も見つかりませんでした。
 周りにもまだ同様の遺構が見受けられるので、合わせて検討していきたいと思います。
(令和2年7月27日現在)

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写真1

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写真2

  写真1は、先週の土師器が出土した竪穴住居です。一部は別の遺構と重複し、壊されていました(写真左下)。
 ところでカマドの脇から、またさらにたくさんの土師器が出土しました(写真2)。先週紹介した分も合わせると、かなりの点数になります。
(令和2年7月20日現在)

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写真1

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写真2

 先週は雨の日が続きました。そこで野外での調査と並行して、出土した遺物を洗う作業も進めました。
 写真1はまだ紹介していない竪穴住居ですが、カマドの脇から完形の土師器の坏が出土しました(写真の赤矢印)。これを取り上げ、洗ったものが写真2です。この坏は、内側は黒く、外側は削り込んで丸い形に整形されているのが分かります。
(令和2年7月12日現在)

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写真1

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写真2

 先週までとは別の、平安時代の竪穴住居です(写真1)。長方形をなす竪穴住居で、カマドが付き(写真奥側)、また他にも火を焚いた痕跡(写真左の赤い土)が残っていました。
 写真2は、まだ調査途中のカマドを写したものです。袖石がいろんな方向を向いて倒れており、またばらばらに割れた土師器が散乱しています。先週、紹介したものと同様に、このカマドも廃棄される際、わざと壊されたと考えます
(令和2年7月6日現在)

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写真1

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写真2

 写真1は、平安時代の竪穴住居で、カマドが付いています。火を焚いた際、カマドからの煙は地面を掘って作られたトンネル(煙道)を通り、写真の上の丸い穴から外へと出します。平安時代のカマドにはよくあるタイプですが、明神下遺跡ではこの種類のカマドは多くありません。
 写真2は、カマドをアップで写したものです。火を焚いた痕跡(赤い焼土)の両脇には袖石(そでいし)しか残っていませんでした。この住居の住人はカマドを壊して廃棄したことが考えられます。
(令和2年6月28日現在)

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写真1

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写真2

 平安時代の竪穴住居の調査を進めています。
 写真1は長方形の竪穴住居です。カマドや貯蔵用の大きな穴が付いていますが、柱穴は1個しか見つかりませんでした。
 また床面よりやや上の埋土中から須恵器(甕?)の破片が大量に出土しています(写真2)。
(令和2年6月22日現在) 

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 先週も竪穴住居や土坑の調査を進めていますが、同時に重機による表土剥ぎと鋤簾を使った遺構検出も行いました。
 その際、平安時代以前に水が流れた痕跡(沢跡)を確認しました(写真中央の黒い跡)。またこの沢跡には平安時代の竪穴住居と思われるプランが重なっており、沢跡が埋まった後、住居が作られたと考えています。
(令和2年6月15日現在)

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写真1

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写真2

 平安時代の竪穴住居の調査を進めています。
 写真1の竪穴住居は、4m四方の比較的小さな竪穴住居で、カマドが付いています。またカマドとは別に火を焚いた痕跡が残っていました (写真の右奥側)。
 写真2は別の竪穴住居で、カマドの脇に貯蔵用と思われる大きな穴があり、そこから土師器の坏がたくさん見つかりました。
(令和2年6月8日現在)

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 土坑の調査も進めています。1m~2m大の土坑が多く、深さは1mを超えるものがあります。特徴的なのは底面付近が隅丸の方形(長方形)に整形されていることです。埋土からは土師器の破片が出土するので、古代の土坑と考えています。
(令和2年5月31日現在)

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 先週は雨続きでしたが、作業員さんが頑張ってくれました。感謝です。
 遺構検出を進めました。竪穴住居の他に、方形に巡る大きな溝(写真)が確認されました。何かはまだ分かりません。
(令和2年5月25日現在)

写真1

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写真2

 竪穴住居の調査を始めました。作業員さんたちが慎重に掘り下げています(写真1)。
 竪穴住居にはカマドが付くものがあり、その周辺からは土師器や須恵器の破片が出土します(写真2)。平安時代の竪穴住居と考えています。

(令和2年5月17日現在)

 

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 今月から重機による表土除去と遺構検出をはじめました。
白線で示した範囲は竪穴住居などの遺構と考えています。
(令和2年5月8日現在)

 

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   今週も作業員さんと試掘をしました。
 黒色土が方形に堆積しているのを確認しました(写真)。古代の竪穴住居と推測しています。このような場所は、他の試掘トレンチからも見つかっています。

(令和2年4月17日現在)

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 今週から調査を開始しました。明神下遺跡は於呂閇志膽澤川神社にあり、胆沢川の南岸に立地します。
 まず作業員さんと試掘をし、土層を確認することにしました。まだ竪穴住居などは見つかっていませんが、古代の土師器などの小さな破片が出土します。
 写真に写っている平らな場所が今回の調査範囲のうち、約半分で、非常に広い面積を調査する予定です。
(令和2年4月10日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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