平成26年度調査

県央県北県南沿岸

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石峠Ⅱ遺跡

東日本大震災関連発掘調査

いわて調査情報/2014年10月31日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 石峠Ⅱ(いしとうげ2)遺跡
所在地 岩手県下閉伊郡山田町石峠第2地割6-30ほか
事務所 080-2819-6180
調査期間 平成26年4月8日~11月30日(予定)
時代 縄文、古代、中世、時代不明
検出遺構 縄文時代:竪穴住居跡、フラスコ、落とし穴、土坑
古 代 :竪穴住居跡
中 世 :墓壙
時代不明:製鉄関連遺構
出土遺物 縄文時代:土器、石器、土製品、石製品
古 代 :土師器、鉄製品
中 世 :古銭
時代不明:陶器、鉄滓
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今年の調査は11月5日をもって終了することとなり、ブルーシートやのう袋を使って、調査途中の遺構や検出した遺構を保護しています。来年度も今年と同じような遺構・遺物が確認されるものと考えています。
約7か月間、ご協力・ご理解頂いた関係各位に感謝を申し上げます。
(平成26年10月30日現在)

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10月18日(土)に現地説明会を開きました。調査現場を歩きながら、実際に遺跡を見ていただきました。写真は、7月に津軽石中学校の皆さんが体験発掘で掘った縄文時代の住居跡について説明しているところです。
たくさんの方にお越しいただきました。ありがとうございました。
(平成26年10月21日現在)

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今から4,000~5,000年前の縄文時代の大型土坑です。
形は隅の丸い長方形で、大きさは縦3.4m×横2.0m×深さ1.4mあります。中に埋まっていた土の埋まり方がフラスコ型土坑と呼ばれる貯蔵施設に似ていることから、同様の用途に使われたものと考えています。
(平成26年10月3日現在)

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今回の調査で見つかった竪穴住居のうち、規模の大きな住居です。縄文時代中期後半(今から約4,000~4,500年前)のもので、1辺6~7m、角が丸くなる隅丸方形状をしています。
写真右側は残念ながら、調査対象外なので掘ることができません。
(平成26年9月30日現在)

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浅く残っていた縄文時代の竪穴住居跡です。
写真中央に石で囲った炉跡が見え、そのすぐ下にも同じような炉が二つのぞいています。記録写真を撮るため、噴霧器で渇いた土を湿らせ、本来の土の色が見えるようにしているところです。
(平成26年9月19日現在)

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今から4,000~5,000年前の縄文時代の竪穴住居です。
赤白のピンの位置が柱の跡で、6本一組です。それ以外に左側で斜めに列になっている3本があることから、柱を建替えたと考えています。
中央と右側には地面で直接火を焚いた炉跡(線を引いている場所)が2か所見つかりました。
(平成26年9月3日現在)

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掘り上がった住居の写真を撮るために掃除をしています。
写真に写っている範囲は200㎡程ですが、11棟の住居跡と8基の陥し穴が見つかっています。各種の遺構が密集して確認されており、大規模な集落や狩り場であったことが分かります。
(平成26年8月29日現在)

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縄文時代の竪穴住居跡から、赤く焼けた土と炭が底に広がって出てきました(上の写真)。床の直上に広がるため、住居を使っていた頃から時間を空けずに堆積したことが分かります。土を除くと、形状のわかる炭化した木材も出てきました(下の写真)。
焼失した住居だと考えられます。
(平成26年8月25日現在)

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掘り上げた土をふるいにかけて、小さな遺物(細かな玉類など)を探しています。この土は以前に刀の出土した場所の土です。目の細かいふるいにかけることで、調査の際に見落としがちな小さな遺物が混じってないかを最終的に確認しています。
(平成26年8月6日現在)

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石峠Ⅱ遺跡で見つかった小さな竪穴住居のひとつです。一辺が2mほどしかありません。壁際には炉が設置されており、きちんとした住居であることが分かります。
縄文時代から単身者用の住まいがあったのでしょうか?
(平成26年7月31日現在)

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今月初めに津軽石中学校の皆さんが体験発掘をした住居跡です。
今のところ円形の竪穴住居跡としては本遺跡で一番大きいものとなりました。縄文時代中期のもので、直径が約8mあります。周溝(しゅうこう・住居の内側に掘られた溝)が二重にめぐる部分が見られ、住居を一度建て直し、拡張した可能性があります。
さらに全体を確認し明らかにしていきたいと思います。
(平成26年7月25日現在)

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古代から近世にかけての地層から、鉄製の刀が出土しました。反りのない直刀で幅の広い特徴から、飛鳥時代のものの可能性があります。現在知られている類似する刀はお墓(群集墳)から出土していることから、この刀もお墓から出土したのかを調べています。
(平成26年7月16日現在)

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津軽石中学校の2・3年生20名が遺跡見学と発掘体験を行いました。3時間という短い時間でしたが、土器や石器が出土し、生徒たちも夢中になって調査を体験していました。中学校生活3年間のなかで貴重な時間になってもらえたかと思います。
(平成26年7月1日現在)

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約2か月前に始まった調査も、作業範囲が斜面の下全体に広がってきました。写真は今年最初にここで報告した写真(一番下の写真)と同じ位置から撮影したものです。住居跡などいくつも重なり合い、予想通りたくさんの遺構が存在することがわかってきました。この地で何度となく生活が営まれてきたことが伺えます。
(平成26年6月20日現在)

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今日は一日中雨のため、プレハブの中で遺跡から出土した遺物を洗いました。雨で外の作業ができない時でも中で作業をすることがあります。
今日は鉄滓(てっさい)を洗いました。鉄滓は製鉄の際にでる残りかすのことです。調べると製鉄の技術や工程が分かります。
(平成26年6月12日現在)

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奥では重機で表土を掘削した場所を、鋤簾を使って遺構の形を出しているところです。手前では縄文時代の竪穴住居跡の形を出す作業を行っています。今後もこのような作業が続きます。作業が進んだ折には、皆様に公開したいと考えています。
(平成26年5月30日現在)

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人がすっぽり入る程の大きな穴はフラスコ状の土坑です。開口部から底に向けて広がる形状で、中に食料を保存するなど貯蔵用に使われたと考えられています。
昨年度検出した20基に引き続き、本年度もすでに4基が確認されています。
(平成26年5月22日現在)

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古代の竪穴住居の竈(かまど、写真左)の図面を描いています。竈は扁平な川原石を方形に組んで作られていました。上部の覆いの粘土が見られないことから、住居に住み終えた後は壊されて捨てられたかもしれません。
(平成26年5月12日現在)

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前回の写真の竪穴住居跡が掘りあがった状態です。石がまとまっている部分が暖をとったり、煮炊きを行ったりした炉です。同じ場所で複数見つかっており、この場所が繰り返し利用されたことがわかります。
(平成26年4月25日現在)

312-3

今年度に新しく掘り下げた調査区です。中央に見えるのは縄文時代の住居で右側の石のまとまりは炉の跡です。こんな急な斜面の下からも生活の痕跡は出てきます。
(平成26年4月18日現在)

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4月8日、今年度の調査が始まりました。調査は2年目ですので、さっそく遺構を掘り進めています。今年も多くの成果があがり、沿岸部地域の歴史の解明が進んでいくことと思います。
(平成26年4月11日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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