平成26年度調査

県央県北県南沿岸

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浜川目沢田Ⅰ遺跡

東日本大震災関連発掘調査

いわて調査情報/2014年12月24日現在

DATA

※この遺跡の調査は終了いたしました。

遺跡名 浜川目沢田Ⅰ(はまかわめさわだ1)遺跡
所在地 岩手県山田町大沢浜川目
事務所 080-2819-5006
調査期間 平成26年6月2日~11月30日(予定)
時代 縄文時代中期
検出遺構 縄文時代:竪穴住居・土坑・遺物包含層(捨て場)
出土遺物 縄文時代:土器・石器、石棒、石製垂飾品
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 11月10日に紹介いたしました、竪穴住居跡の床下から見つかった逆さの縄文土器について、周囲の土を掘り、土器をあらわにしてみました。渦巻き模様が一面に描かれた素晴らしい土器です。やはり底部は壊れて無くなっており、また中の土も掘ってみましたが、土器の破片以外なにも見つかりませんでした。
この土器の取り上げなどをして、浜川目沢田Ⅰ遺跡の調査は17日で終了しました。今後、取り上げた縄文土器や石器の整理作業のなかで、さらに遺跡のいろいろなことが分かってくると思います。
(平成26年12月18日現在)

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 9月16日、11月10日に紹介した竪穴住居跡(縄文時代の家のあと)と、その周囲の遺構の調査が終了し、あの竪穴住居跡には、別の竪穴住居跡5棟が重なっていたことが分かりました。
 写真はその全体を撮影したものです。円形に巡る住居壁際の溝が少しずつ場所を変えながら重なっています。縄文人はよほどこの場所が気に入っていたのでしょう。
(平成26年12月15日現在)

 

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調査もラストスパートです。
それでもまだ、立派な竪穴住居跡が見つかり、写真のような炉が顔を出しています。
炉は石を組んで作られていますが、それらの石がわずかに赤いのは、炉の中で火を使い、その熱によって赤く変色したためです。こんなところにも縄文人の生活の痕跡がうかがえます。
(平成26年12月8日現在)

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土坑と呼んでいる大きな穴がいくつか見つかっています。
この土坑は写真ではなかなか伝わりづらいかもしれませんが、地面から1.5m以上深く掘られています。縄文人が食料の貯蔵用に利用していたと考えられています。この土坑がどのように埋まっていったかを調べつつ、調査を進めています。
(平成26年12月1日現在)

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先週紹介した竪穴住居跡は床面まで掘り下げが進みました。
そしてその床面に近いところで、2個の縄文土器がどちらもひっくり返った状態で見つかりました。どちらも胴部下から底部が欠けて、なくなっています。壊れた土器を捨てて行ったのでしょうか。
(平成26年11月25日現在)

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先週、紹介した竪穴住居跡、並びにその周辺の調査を進めていますが、まだ他にも数棟の竪穴住居が連なるように重なって見つかり始めています。いずれそちらも紹介いたしますが、今週、その掘り下げの途中で、ほぼ完形の状態の縄文土器(深鉢)が見つかりました。
調査ももう終盤にさしかかっていますが、まだまだ縄文土器や石器が見つかりそうです。
(平成26年11月17日現在)

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9月16日に紹介しました、2種類重なった竪穴住居跡について、調査を進めました。
床面にまだ黒い土で楕円形のような輪郭が見えており(写真上の赤丸で示した部分)、この範囲を掘ってみたところ、50cmもある大きな縄文土器が逆さの状態で見つかりました。
9月8日にも同じような縄文土器を紹介しましたが、今回見つかったものの方が大きく、また土器の底の部分がなくなっています。
(平成26年11月10日現在)

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今週は縄文土器や石器の他に、写真のようなアスファルト塊も見つかりました。アスファルトは石鏃(矢じり)や石槍などの石器を木の棒(柄)にくっつけるための接着剤として使われたと考えられます。遺跡周辺で採取できる場所はありませんから、わざわざ別の場所から運ばれてきたものと考えられます。どこからきたのでしょうか。
(平成26年11月4日現在)

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今週も沢山の土器や石器、貴重な遺物が見つかりました。
上写真はまとまった状態で出土した縄文土器で、これまでとは異なり、後期の縄文土器です。ずいぶん大きく奇抜な形をしているのではないかと想像しています。
また下写真は別の場所から見つかった縄文時代晩期の石製垂飾品(ネックレス)です。緑色が鮮やかで、翡翠(ヒスイ)製ではないかと考えます。
7月14日に紹介しましたが、遺跡からは中期の石製垂飾品(翡翠製か)がすでに見つかっています。
(平成26年10月27日現在)

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今週は写真のような石剣が見つかりました。
長さ約30cmで、片端は折れて無くなっていますが、もう一方の先端は鋭利にとがっており、表面は丹念に研磨されています。
この他に、石棒の一部も見つかっています。まだまだ色々な土器や石器が見つかりそうです。
(平成26年10月20日現在)

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今週もたくさんの縄文土器や石器が見つかりました。なかには、ほぼ完形の注口土器(写真上。現在の急須のようなもの)や土偶(写真下)もありました。2週連続で土偶が見つかり、作業員さんたちも大騒ぎです。
10月18日(土)の現地説明会では、これまで紹介してきた竪穴住居跡や様々な土器・石器などをお見せしたいと思います。よろしければお越しくださいね。
(平成26年10月14日現在)

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9月22日に紹介した場所の調査を進めています。
先週はたくさんの縄文土器や石器が出土しました。縄文土器はほとんど破片でしたが、中には上写真のように形の分かるまま見つかるものもありました。
そして1点ですが、土偶も見つかりました。下写真がその土偶です。残念ながら頭部のみです。体や手足が見つからないかと今日も皆で調査を進めます。
(平成26年10月6日現在)

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先週、調査区の一部を対象として、ラジコンヘリで上空からの写真撮影を行いました。
天気はそれほど良くなかったですが、山田湾もきれいに見えており、浜川目沢田Ⅰ遺跡が非常に海に近い遺跡であることが分かります(写真上)。
写真下は、今まで紹介してきたいくつかの竪穴住居跡を真上から撮影しています。小さく分かりづらいかもしれませんが、炉や柱穴、溝が重なっており、狭い場所に何度も住居を建て続けたことがうかがえます。
(平成26年9月29日現在)

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これまで紹介してきた場所とは別の範囲でも発掘調査が始まりました。
写真は作業員さんが新しい調査区で試し掘りをする姿を撮影したものです。向こう側に写っているのは山田湾ですが、調査している場所と海面がほとんど同じ高さであることが分かります。
このような場所ですが、すでに写真のような縄文土器がたくさん出土しています。これまで紹介してきたものよりも新しい縄文時代晩期の土器が多いのが特徴です。
(平成26年9月22日現在)

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先週まで紹介してきた竪穴住居跡の調査も終盤です。
1棟と想定しながら調査を進めてきましたが、どうやら2棟の竪穴住居が重なっているようです。しかもそのうちの1棟(写真奥側)は壁際の溝が3重になっており、2回以上の建て替え(リフォーム)を行っていたようです。
柱穴もたくさん見つかっています。
(平成26年9月16日現在)

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先週紹介した竪穴住居の炉の脇から、縄文土器が床に埋められた状態で見つかりました。
縄文土器は口の部分を下にして、逆さまの状態で埋められており、また底部が欠けています。なぜ、わざわざこのようにして縄文土器を埋めたのかは謎です。
(平成26年9月8日現在)

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先週紹介した竪穴住居の調査が進んでいます。
住居の床面を調査していると炉が姿を現しました(写真中央)。以前紹介した竪穴住居跡の炉も大きかったですが、今回も大きく、長軸が1m以上あります。本来は炉石を長方形に並べて、現代の囲炉裏のような形をしていたと考えられますが、この炉は片側の炉石がすっかり抜かれて無くなっていました。
炉の中は真っ赤に変色しており、激しく火を使ったことが想像されます。
(平成26年9月1日現在)

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先週とは別の竪穴住居を調査しています。土を「×」印のように残して、この住居がどのように埋まっていったかを観察します。
黄色い範囲は住居の床になります。その床には黒い溝が3条、ぐるりと巡っており、この住居が2回以上建て替え(リフォーム)られていたことが考えられます。黒く丸いシミは柱穴です。
(平成26年8月25日現在)

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6月27日・7月22日に紹介した竪穴住居跡の隣にもう1棟の竪穴住居跡が見つかっており、今週、その住居の調査が終了しました。
前に紹介した竪穴住居跡に負けず劣らず、大きな竪穴住居跡です。
浜川目沢田Ⅰ遺跡では、このような竪穴住居跡がまだまだ見つかっています。
(平成26年8月11日現在)

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7月7日に紹介した、たくさん土器・石器が見つかった場所を掘り進めております。下からもたくさんの土器や石器が見つかっており、そのたびに、掘っている作業員さん達から歓声があがります。
写真はまとまって見つかった土器の一例です。残念ながらバラバラの破片ですが、どのような形をした土器なのか、取り上げて復元するのが楽しみです。
(平成26年8月4日現在)

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竪穴住居跡や包含層の土を掘り進めて行くと、時々、赤く透明な琥珀(コハク)の破片が見つかります(上写真)。
丹念に取り上げ、洗ってみました。
1点だけですが、穴があけられたもの(下写真右)が見つかりました。縄文人のアクセサリーでしょうか。
(平成26年7月28日現在)

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6月27日に紹介した竪穴住居跡(縄文時代の家のあと)が掘りあがりました。残念ながら住居の壁は残っていませんでしたが、石を並べて作った立派な炉(囲炉裏のあと)があり、またその炉を囲むように大きな柱穴が並びます。
炉の中の地面は真っ赤になっており、ここで何度も火を焚いたことが想像できます。
(平成26年7月22日現在)

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先週紹介した、縄文土器や石器がたくさん出土する場所を掘り進めたところ、石製の垂飾品が1点見つかりました。
この垂飾品は直径約3.5㎝、厚さ約1㎝で丸い形をしており、真ん中に穴が開けられています。色は白地に鮮やかな緑が混ざっており、その特徴から石材は翡翠(ヒスイ)ではないかと考えています。今後、分析などで詳しく調べたいと思います。
(平成26年7月14日現在)

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先週紹介した竪穴住居跡の近くから、おびただしいほどの縄文土器や石器がみつかりました。
写真はその一部です。少し土を掘るだけでも大きな土器の破片や石器が姿をあらわします。ここは周囲に住んでいた縄文人が、いらなくなったり壊れてしまった土器や石器を捨てていた場所ではないかと想像しています。
(平成26年7月7日現在)

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今週は表面のクリーニングが進み、写真のような竪穴住居跡(縄文時代の家の跡)が姿を現しました。
この竪穴住居跡は後世の削平のため、壁がなく、床や柱穴、また壁際を巡る細い溝だけが残っています。また写真に写る台形のような茶色いシミは炉(囲炉裏のあと)で、四角く並んだ石が顔を出しています。これからこの茶色い土を掘ることで、炉の姿があらわになってくることでしょう。
(平成26年6月27日現在)

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上の写真は遺跡の表面をクリーニングしている様子を撮影したものです。黄色い土が広がる範囲と黒い土が広がる範囲がはっきりと別れます。この黒い土の中から、たくさんの縄文土器や石器が見つかります。
下の写真は今週見つかった縄文土器です。深鉢の胴部で、表面に『隆帯』と呼んでいる粘土のヒモを貼りつけた模様が施されています。
(平成26年6月20日現在)

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雨の日が続きましたが、発掘調査は順調に進み、先週、紹介したような縄文土器や石器がたくさん見つかりました。
写真はその一例です。黒い土を薄く剥ぐように掘り進めて行くと、このような模様(文様)の付いた縄文土器が姿をあらわします。
(平成26年6月13日現在)

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発掘調査が始まりました。遺跡は、山田湾を一望できる、眺めの素晴らしい場所にあります。
今回は、試し掘りや重機を使った表土除去を行いました。すでに写真のような縄文時代中期の土器や石器が見つかっています。次第に明らかになる遺跡の姿をこれから紹介していきたいと思います。
(平成26年6月6日現在)

※このホームページは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターが、調査した遺跡の情報を提供しています。 掲載されている情報の無断転載はできません。

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